1993年、ポスト冷戦時代のはじまりであると同時に世界中で民族間、国家間の抗争が激しくなり、人々の憎悪と悲しみが、この地球上に多いはじめたこの時期に、沖縄県読谷村で第2回環境自治体会議が開催されたことは大変意義深いことである。
沖縄は第二次世界大戦の悲劇のうえ、敗戦後は島のほとんどを米軍基地として占有され、半世紀を経た今日も、依然として県土11.1%(本島の19.7%)が基地である。戦争は沖縄の人々の多数の命を奪っただけでなく、沖縄の自然の様相をも一変させた。人々が国家や民族の矛盾を戦争という手段で解決しようとするとき、破壊されるのは人間の命だけでなく多くの自然や動植物、景観が犠牲となり、回復不能な痛手を受ける。1991年の湾岸戦争がそのことをさらに証明した。
そして何より戦争が続く限り、人々の環境への関心は二次的なものとなってしまう。日本での環境問題への関心が昨年に比べ、急速に薄れていくことに危惧を抱かざるを得ない。
他方で、オゾン層の破壊や温暖化現象に見られるように地球環境が人間の活動に関してあまりにも脆いことも明白である。私たち人類は、この限界のなかで生活様式を、全人類の合意のもとに早急にもつくり出す必要性に迫られている。とくに南側の貧困の克服と、北側の消費形態の変更が、ともに大切であることは1992年のブラジル会議で確認されたことである。
これから地球的課題は、平和を守ること、自然と共生すること、そのなかで人類の発展をめざすことにあるといってよい。
この三つのテーマを一体化させ追求してきたのが沖縄の人々である。
私たちはその沖縄の地に集い次のことをお互いに確認しあった。
以上、宣言する。
1993年5月29日
第2回環境自治体会議